山崎育三郎さんは、舞台やドラマ、CMで大活躍のミュージカル俳優。
2021年10月10日からは人気トーク番組「おしゃれイズム」の後継番組「おしゃれクリップ」のMCを担当しますよね!
裕福な家庭で育った山崎育三郎さんですが、実は高校時代にたった1人で祖父母を介護していたヤングケアラーでした。
そこで今回の記事では、山崎育三郎さんに介護経験があることや、高校時代に祖父母のヤングケアラーだった理由について調べてみました。
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山崎育三郎は介護を経験している!
東京港区高輪に実家があり、兄弟4人とも海外留学をするなど裕福な家庭で育った山崎育三郎さん。
おぼっちゃま育ちのイメージがある山崎育三郎さんですが、実は祖父母の壮絶な介護を経験しているんです。
山崎育三郎の祖父母の要介護度は?
山崎育三郎さんが幼少の頃から、一家は祖父母と同居していました。
山崎育三郎さんは4人兄弟なので8人暮らしということになりますが、お金持ちで家も広かったので楽しく暮らしていたのでしょうね!
しかし山崎育三郎さんが小学生のころに、祖父母が2人とも脳梗塞になり、命はとりとめたものの後遺症が残ってしまいます。
- 祖父は、話せない&認知症&歩行困難
- 祖母は、右半身不随で車いす
上記のような状態の祖父母を、山崎育三郎さんの母親が10年以上1人で介護をしていたそうです。
とくに祖父は暴れたり、物を壊したりすることもあったようで…。
山崎育三郎さんの母親は仕事と子育てをしながら、義理の両親である2人を同時にお世話していました。
しかしその後、山崎育三郎さんがたった1人での祖父母の介護をすることに…。
なぜ山崎育三郎さんが1人で祖父母の介護をすることになったのでしょうか?
山崎育三郎がヤングケアラーになった理由は?
山崎育三郎さんは高校2年だった2002年7月から、アメリカへ1年間の語学留学に出発しています。
しかし、山崎育三郎さんが帰国する前後に、両親が離婚することに。
両親が離婚後、家族の居住地はバラバラになりました。
- 母親は実家の岡山県へ
- 父親は単身赴任で北海道へ
- 2人の兄は海外留学中
- 弟は香川県で寮生活中
東京の実家で祖父母の介護ができるのは、留学から帰国したばかりの山崎育三郎さんだけ…という状況にだったのです。
当時の山崎育三郎さんは、再び日本の高校に通い始める時期でした。
山崎育三郎が介護を断らなかった3つの理由
山崎育三郎さんの実家はお金持ちだったので、祖父母を介護施設に入れることも可能だったと思います。
しかし、山崎育三郎さんは自分が介護をすると決断しました。
介護を決断した理由①
子育てしながら祖父母の介護をしていた母親に比べれば、数年間1人で介護するのは大変じゃないと思ったから。
ちなみに山崎育三郎さんが留学中、介護で心身ともに追い詰められた母親から「私、だめかもしれない」と電話があったこともあるそうです。
介護を決断した理由②
1人アメリカ留学に挑戦した経験から、自立心と自信が芽生え「できる」と思ったから。
介護を決断した理由③
祖父母が大好きという気持ちがあったから。
高校生活と介護の両立に苦悩したヤングケアラー時代
山崎育三郎さんは、祖父母が施設に入るまでの2~3年ほど、たった1人で介護をしていました。
まさにヤングケアラーですね。
山崎育三郎さんは2016年のインタビュー記事で、介護をしていた時期の1日をさらっと語っていました。それによると、
<朝>
- 朝食を作る
- 祖父母に朝食を食べさせる
<昼>
- 学校へ
- 祖父母の世話はホームヘルパーに頼む(夕食作りも)
<夜>
- 夕食を食べさせる
- お風呂に入れる
昼間はホームヘルパーさんが来てくれるとはいえ、体が不自由な祖父母の朝夕の食事の世話やお風呂を高校生が1人でこなすのは相当なストレスだったと思います。
高校時代といえば、友人との遊びや将来の夢に向かって勉強するなど、やりたいことが盛りだくさんの時期なのに、山崎育三郎さんは祖父母のお世話をしてのです。
ときには「なんで自分が」と思ってしまうこともあったそうですが、無理もないことでしょう。
しかしそんな楽ではない日々の中で、山崎育三郎さんのハングリー精神は育まれていったようで。
「絶対に帝国劇場で主役になる!」という熱い夢を持ち続けていたと山崎育三郎さんはインタビューでは語っていました。
裕福な家庭で、華やかな人生を歩んできたかのような山崎育三郎さん。
祖父母の介護を1人でこなすという壮絶な経験が、その美しい歌声や演技に深みを与えているのかもしれませんね。